東京家庭裁判所 昭和46年(家)11109号 審判 1972年7月07日
申立人 須磨昌英(仮名)
事件本人亡 須磨英夫(仮名)
主文
事件本人が申立人の被相続人亡須磨昌子に対して、本籍東京都○○区○○△丁目△△番地筆頭者亡山口ふじのの養子山口英政(母亡須磨昌子の男)に対する認知届出の委託をしたことを確認する。
理由
一、申立の趣旨および実情
申立人は主文同旨の審判を求め、その実情として次のとおり述べた。
申立人は事件本人の長男であるが、事件本人は昭和一八年頃最後の住所地から出征し、昭和一九年一一月一日比島レイテ島において戦死した。事件本人は戦地に赴くに際し、申立人の母須磨昌子に対して、申立人の弟で事件本人の次男となるべき山口英政の認知届出を委託したが、申立人の母は世事にうとく、この届出手続をしないまま昭和四五年一一月二二日に死亡したので、相続人である申立人が本件申立をした次第である。
二、当裁判所の認定した事実
記録編綴の各戸籍謄本、当庁家庭裁判所調査官後藤清純作成の調査報告書並びに参考人高木増三、同小田中ユキ子、同須磨清市、同須磨せき、同山口英政および申立人各審問の結果によれば、次の事実が認められる。
(1) 事件本人は、大正三年三月四日に生れ、小学校卒業後しばらくしてから、東京都○○区○○町(現町名○○△丁目)△△番地において家具製造業を営んでいた実兄須磨清市の隣家で、弟の良二とともに乾物屋をはじめたが、昭和一五年頃、菅真司と山口ふじの間の非嫡の子菅昌子と内縁の夫婦となり、その間に、昭和一六年一一月二八日申立人が出生したので、事件本人は夫婦の名を一字づつとつて「昌英」と命名した上、翌一七年二月一三日庶子出生届出をした。
(2) その後、右昌子は事件本人と同棲中に再び懐胎したが、事件本人に召集令状がきたため、同人は、近所に住む前記須磨清市夫婦や、姉の小田中ユキ子に対し、「妻子を置いていくからあとをよろしく頼む。もし生れた子が男の子ならば、長男の昌英とは逆の名前をつけてくれ」と言い置いて、昭和一八年八月一一日二等兵として応召し、同月一七日宇品港を出帆して一旦満州国にわたり、同地において輜重兵第一連隊に転属し、その後中国を経て、昭和一九年一〇月二〇日上海から出航し、同年一一月一日フィリッピン、レイテ島○○上陸作戦に参加して戦死した。なお、死亡直前の階級は上等兵であり(戦死により伍長に特進)、出征から戦死までの間に、事件本人からその兄弟姉妹に対しては、何らの通信がなされず、また、原生省援護局保管の昭和二〇年一月一日調製の留守名簿によれば、事件本人の留守担当者は妻須磨昌子とされている。
(3) 一方、右昌子は、事件本人の応召後も事件本人の姉小田中ユキ子らの協力をえて、しばらくは乾物屋を営んでいたが、まもなく止めて実家に帰り、昭和一八年一〇月二八日に男子を出産したので、事件本人の言い残した趣旨にしたがつて「英政」と命名したが事件本人はすでに出征して不在であつたため、同年一二月一一日母菅昌子から非嫡の子として出生届出がなされた。なお、右昌子の母山口ふじのは、右昌子および右英政をいずれも養子とする縁組届出を同月一三日に出している。
(4) その後、右昌子は、事件本人が前記のとおり昭和一九年一一月一日に戦死したことを知らずに、昭和二〇年五月一四日に事件本人との婚姻届出をなしたが、昭和二二年六月二五日付東京都知事の報告にもとづいて、事件本人の戦死の戸籍記載がなされたため、右婚姻届出は死亡後の婚姻ということで無効となり、昭和三〇年一二月六日付許可の裁判により右婚姻関係記載の戸籍は消除されたが、同年一二月二七日付確認の裁判により、受託者山口昌子の婚姻届出が再び提出され、これが受理されて事件本人と右昌子の婚姻が認められ、これにより申立人の父母との続柄も長男と訂正された。しかし、同じ父母間の子でありながら、前記英政の戸籍については何ら訂正が加えられなかつた。
(5) 右昌子は、戦後は巣鴨駅前で新関の立売りをして生活していたが、母山口ふじの(昭和三一年四月一〇日死亡)並びに子である申立人および前記英政を抱えて生活に困窮し、また世事にもうとかつたため、巣鴨駅前交番に勤務する警察官高木増三らの助けをえて、生活保護や恩給受給の手続をなし、また前記戸籍訂正等の手続をなしたものであるが、前記英政の戸籍関係については、何ら手続をしないまま、昭和四五年一一月二二日に死亡した。
(6) 右英政は、兄昌英が須磨姓を称していたのに対し、山口姓を称したまま成人したが、このたび婚姻のため戸籍を取り寄せて見たところ、父欄が空欄となつていたため、当初当裁判所に、父欄に須磨英夫と記載してほしい旨の戸籍訂正許可の申立をしたが、その後兄である申立人と相談して、兄の方から本件申立をするに至つたものである。
(7) なお、右昌子は、戦後は夫である事件本人の親族とは何ら交際せず、従つて、その子である申立人らも事件本人の親族の住所や名前さえ知らなかつたのであるが、当裁判所においてこれを探索し、右事実関係を明確にしたものである。
三、当裁判所の判断
(1) 右認定事実によれば、前記山口英政は、母菅昌子が事件本人と法律上の婚姻をする以前に出産した非嫡の子であることは明らかであり、またその生理上の父親が事件本人であることも、諸般の状況により推認することができる。
しかし、生埋上の父親が事件本人亡須磨英夫であることが認められるからといつて、同人が非嫡の子である右山口英政を法律的に認知していない以上、事件本人は右山口英政の法律上の父とはいえないのであるから、戸籍上右英政の父欄に事件本人の名を記入することは許されないのである。
なお、事件本人は昭和一九年一一月一日に死亡しているのであるから、自ら認知届出をすることはできず、また、子である英政の方から事件本人に対して認知を請求することも、事件本人死亡後三年を経過した今日となつては、民法七八七条の規定により託されない。
(2) そこで、残された唯一の方法として、事件本人が右英政に対する認知届出を確かに委託した事実があるかどうかが問題となる。前記認定のとおり、事件本人は昭和一八年八月一一日に応召するまで、右英政の母昌子とは同棲していたのであり、右英政は同年一〇月二八日に出生したのであるから、事件本人は右昌子が妊娠していたことは知つていた筈であり、それだからこそ、応召に際して自己の兄や姉に、「もし生れた子が男の子ならば、長男の昌英とは逆の名前をつけてくれ」と言い置いたものということができる。
そして右のように述べた趣旨は、右昌子の懐胎した子が自己の子であることを認めるとともに、その出生後の認知届出を委託したものと解するのが相当である。なお、このことは、後に昭和三〇年一二月二七日になつて、事件本人と右昌子との婚姻届出委託確認の裁判がなされた趣旨にも合致する。そして更に、事件本人が自己の兄や姉に述べた趣旨は、当時同棲していた内縁の妻昌子に対しても述べたであろうことは容易に推認できるので、結局事件本人は右昌子に対して、同女が後に分娩した子英政に対する認知届出を委託したものということができる。
(3) ところで、右昌子は昭和四五年一一月二二日に、右認知届出の委託確認の手続をしないまま死亡し、その子である申立人から本件申立がなされたので、その相続性の可否が問題となる。
この点について、現行法上相続は、遺産相続すなわち財産相続であるから、財産権と解することのできない戸籍届出の委託関係が相続の対象となるとは考えられず、殊に、その委託関係は法律行為に非ざる事務の委託すなわち準委任と解すべきものであるから、民法六五六条および六五三条の規定により、受託者の死亡によつてその委任関係は終了し、その相続ということは考えられないとの考え方があるが、元来、「委託又ハ郵便ニ依ル戸籍届出ニ関スル件」という法律(昭和一五年法律第四号)は、戸籍の届出をしようとする者が、戦時または事変に際し、戦争その他の公務に従事し、自ら戸籍の届出をすることが困難な事情にある場合に、一定の条件の下に、他人に委託してその届出をすることを認めた趣旨のものであるから、この法律の運用にあたつては、当該届出人(戦死者)が果して戸籍届出の意思を有していたかどうかを見定めることが最も重要視せらるべき点であり、もし届出意思のあることが一旦確認されたならば、その届出人の意思をできるだけ尊重して、これを戸籍上に実現することが強く要請せらるべきものであり、従つて、戸籍届出の単なる伝達機関ともいうべき受託者が死亡したからといつて、ただちに、以後その届出は絶対的にできなくなると解するのは、本末を顛倒した考え方であり、仮りに、そのように解すべきものとすれば、公務に従事して死亡した届出人の意思を全く無視したことになり、甚だ不当であるといわなければならない。
そこで、右届出の意思が確認されたが、その受託者が死亡した場合における届出の方策について考究するに、まず右委託の法的性質について考えると、これは前記のとおり準委任ということになり、この場合において受任者が死亡すれば、委任関係は終了することになるわけであるが、民法六五四条には、委任終了の場合において急迫の事情があるときは、受任者またはその相続人は、委任者等が委任事務を処理することができるようになるまで必要な処分をしなければならない旨の規定が存するところ、本件戸籍届出の委託確認の手続については、とくに急迫の事情が存するわけではないが、委任者たる事件本人はすでに死亡して自ら認知届出をすることはできず、また、このまま放置すれば、前記英政に対する認知届出は永久になされる可能性がなく、しかも、前記のとおり、公務に従事して死亡した者の戸籍届出の意思は、できるだけ尊重すべきことが要請されるので、この際、右規定の趣旨を類推適用して、受託者の相続人たる申立人においてその手続をすることができると解するのが相当である。なお、この場合には、相続人は全員ですることを要せず、そのうちの一人がすればよいものと解する。
(4) 以上の理由により、受託者須磨昌子の相続人である申立人から申し立てられた本件申立は理由があるから、これを認容することとし、主文のとおり審判する。
(家事審判官 日野原昌)